家栽の人

今日のゼミでは、毛利甚八さんがゲストとして講演にきてくださった。

この方は、漫画「家栽の人」の原作を書かれた方である。


家栽の人 (1) (ビッグコミックス)

家栽の人 (1) (ビッグコミックス)

家栽の人 (2) (ビッグコミックス) 家栽の人 (3) (ビッグコミックス)

家栽の人 (4) (ビッグコミックス) 家栽の人 (5) (ビッグコミックス)


実は、ぼくは「家栽の人」という漫画を読んだことがなかったんだけれども、

毛利さんのお話はとても新鮮だった。

裁判所の内部のことについても、司法制度についても、

普通じゃなかなか知ることが出来ないことまで聞かせていただいた。



単純に驚いたのは、

まったくの個人あってもここまで裁判所などの内部や、

司法制度のシステムのことを知ることができるんだな、ということ。

というか、本来なら個人でも知ることが出来るってのが当たり前なんだろうけど、

現状のことを考えれば当たり前とは言えないんじゃないかな、と。


法律のことは裁判官とかに任せておけばいいじゃん的な発想が、

国民の側にも裁判官の側にもあるような気がするから。

こういうのを打開しようとして、

裁判員制度が出来るんだろうけどね。

でも、この制度を導入するに当たって、

やっぱり両者の意識の在り方がそれぞれ課題になるんだろうね。



ほんと毛利さんのお話には共感できる部分が多くて良かった。

自分が恵まれていると思うのならそれは人を助けるためなのだ、と。

うん、その通りです。



とりあえず、物書きを仕事としている方のお話を直接聞いたことがなかったし、

いい経験になったことは確かだな。

ちなみに、

毛利さんは自分のことを話すときでも、

あたかも一つのストーリーであるかのように喋っていました。

たとえば、

「私はそのことを知りました。」じゃなくて、

「私はそのことを知ることになったんですね。」みたいな。

うーん、僕の言いたいことが伝わってるかな?

なんか後者の言い方だと、

自分が知ることについてすでに運命付けられていた、みたいなニュアンスが入る気がする。

単に、毛利さんの癖なだけかもしれないけど、

もしかしたら物書きの人はみんなこういう喋り方をするのかな?

自分のことも客観的に観察して言葉にする。

そういう喋り方ってなかなか良いなぁ、と思ったわけです。

なんか変なとこに注目して話を聞いてたな、自分。