すでに情報網は限界だ。
前から思ってること。
たとえば、意見を言うとか批判をしようと思ったときに、
その基礎となる情報ってほとんどがメディアからのものになるんよね。
それってけっこう怖いことなのかなと思う。
っていうのも、
批判しようと思ったときに自分が持っている情報が間違っていたり、
どこかで極端に偏っていたりしたら、
自分でも気づかないうちに見当違いのことで人を責めることになる。
だから自分のなかで批判的な意見が形成されても、なんとなく萎縮されちゃうんだよね。
「いやー、テレビで言ってることを鵜呑みにしていいんかねぇ…。」みたいな感じで。
だから、結局のところ「テレビが正しい」ことが成立条件になった批判ということになる。
ほんとは自分で調べるのが一番いいんだろうけども、
さすがに全てを自分で直接把握するのは無理だし……。
どう考えたって真実じゃないだろっていう報道ならまだマシだが、
ほんとかどうかわからないときにすごく困る。
どうも最近の報道は真実の一部だけを過剰に取り出しているように思えてならない。
限られた情報をこねくり回している気がしてしまう。
現にある事実と自分の間にメディアが横たわっていて、
そのレンズを通してしか見れないがために、実は事実が見えなくなっている気がする。
とはいえ、情報を得るという意味ではメディアの存在は大きい。
そういう意味では自分で情報を見極めるべきであるけど、
一方で偏らない情報をメディアが流してくれることを祈るしかないのか。
なんか悲しいくらいに無力だな。